再掲載 AVの歴史
◎「AVの歴史」
○アダルトビデオ誕生
・1981年(昭和56年)国内初のアダルトビデオ「ビニ本の女・秘奥覗き」 「OLワレメ白書・熟した秘園」発売
・ちなみに1981年は ピンク・レディー解散、ロサンゼルスで三浦和義の妻が 銃撃される(ロス疑惑)
・1981年7月発売、「愛染恭子の本番生撮り 淫欲のうずき」(にっかつビデオフィルムズ)が2万本超えの大ヒット
・上記作品を撮った代々木忠監督は、1982年「ドキュメント ザ・オナニー」がシリーズ化、映画的演出から決別
・アダルトビデオという言葉を生んだのは当時宇宙企画作品を手がけた小路谷秀樹監督
・当時、AVを審査していた日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)は、連続した性交描写を3分以内に規制
・ビデオデッキが一般家庭に普及し裏ビデオ(性交描写3分の枠を無視、本番収録、無修正)がブームとなる
・1984年1月、「ミス本番 裕美子19歳」(宇宙企画)で美少女が本番という作品は、AV界とユーザーに衝撃を与えた
・「ミス本番 裕美子19歳」ヒット以降「美少女路線」が確立される
・美少女路線の大ヒットから、「本番をしているように演技」(擬似本番)する美少女の作品が生まれ AV女優 と呼ばれるようになる
☆1985年(昭和60) つくば科学万博、電電公社がNTTに、松田聖子と神田正輝が挙式、日航ジャンボ機墜落事故、ファミコン「スーパーマリオブラザーズ」発売
・1985年頃 村西とおる氏がAVを手がけるようになり、自身も男優として出演する
・1986年10月 村西氏の代表作「SMっぽいの好き」(黒木香)が発売される
・「SMっぽいの好き」以降、淫乱・過激路線も広がりをみせ 豊丸、沙也加など人気女優が誕生した
○レンタルビデオとビデ倫
・ビデオデッキの普及でレンタルビデオ店が急増!1985年=レンタル1本1200円が価格競争で1本100円にまで下落
・弱小店は大型店に対抗するため「無審査ビデオ」「インディーズ・ビデオ」などと非ビデ倫作品を扱った
・非ビデ倫作品は「シースルー」といわれるスケスケでほぼ局部がまる見えだった
・1988年発売「処女宮 うぶ毛のヴィーナス」(葉山レイコ) 元芸能人がAV出演と話題になり大ヒット!
・1989年頃 美少女路線に乗らず、本番を行う作品に 林由美香、樹まり子、早見瞳といった美人女優が出演
☆1989年(昭和64) 年初の平均株価が3万円台、昭和天皇が崩御し、元号が平成に
・その後、星野ひかる、浅倉舞、白石ひとみといった人気女優が誕生する
・1989年発売「アクションビデオ ビデオギャルやりませんか」以降ナンパものがジャンルとして確立していく
○セルビデオ店の躍進
・1993年 AVを安く販売する「ビデオ安売王」チェーンが急拡大!1995年で1000店舗を突破!
・当時のビデオ作品は1本1万円を越えていたためレンタルが広まったが、セルビデオ店では4000~7000円だった
・さらに非ビデ倫作品はアンダーヘアとアナルが見られたことが大きかった
○ソフト・オン・デマンドの登場
・粗製乱造されていたセルビデオを変化させたのが、高橋がなり氏が率いたソフト・オン・デマンド
・ユーザーの声に耳を傾け、商品の品質向上、価格を1本2980円に設定、独自の流通ルートを開拓
・業界が大変貌するキッカケとなったのが「ルームサービス 小室友里」で、モザイクが超薄消しで大ヒット
○ビデ倫終焉
・1998~2002年、セルビデオ勢とレンタルビデオの競争が激化
・ビデ倫審査はアンダーヘアとアナルの露出を認めず、ビデ倫審査作品を扱うレンタル勢は苦境に
・セルビデオに押されビデ倫は2007年にアンダーヘアとアナル露出、薄消しの審査を一時的に緩めた
・新たな審査団体を作るなどビデ倫に対決姿勢をとっていたセルビデオ側がビデ倫を告発
・ビデ倫・制作会社・ビデ倫作品を扱っていた量販店まで一斉捜査が行われ、その後ビデ倫は審査業務を終了する
○AV界の黒歴史
・1999年4月 屋外スケートリングで「全裸フィギュアスケート」という作品を撮影→公然わいせつ罪で書類送検
・2002年10月、人気AV女優 桃井望(非ビデ倫系に200本以上出演)が交際中の男性と車の中で焼死 他殺と思われる状況証拠が多数あったが警察は無理心中で処理(後日裁判で他殺ともとれる状況と判断される) 「もしかしたらAV女優が何らかの理由で狙われ殺されたのではないか?」と業界に重い空気が漂った
・2004年1月 マクドナルドで露出撮影をしていた関係者が逮捕 製作費が異常に安く、監督の報酬が2万円ほどで撮影場所を用意することもできず
・2004年6月 暴行系ビデオを得意としていたバッキービジュアルプランニングがAV女優に撮影内容を説明せず脱法ドラッグを吸わせ、撮影時肛門に浣腸器具を挿入、器具を破裂させ女優に重傷を負わせた「通称 バッキー事件」が起こる この事件後、バッキーに出演した女優たちが警察の説得で次々被害届を提出、関係者が次々逮捕・起訴され、会社代表に懲役18年の判決
・2008年5月 渋谷駅近くの路上に停車したダンプカーの荷台で撮影、公然わいせつ罪で関係者が逮捕
○AV強要問題
・「モデルにならない?」「タレントにならない?」などとスカウト、プロダクションと契約した途端AV出演を要求、断ると「契約」「違約金」をたてに脅迫めいた追い詰め方で女性を苦しめる行為が問題に
・1度出演してしまうとその動画がネットに流出して削除困難に
・人権団体が、出演強要や、非人道的撮影内容をなくすため内閣府や各省庁などに対してAV業界を規制する法の整備を要求中
・現在、販売店に並ぶようなAVを制作している者は、出演強要や、非人道的撮影を行ってもデメリットしかない
・国内のAV制作団体と関係を持たない海外サーバー経由で配信のみ行う集団が存在している 外部から見るとAV業界としてひとくくりにされてしまうが、業界のローカルルールに従うこともない輩が問題行動を起こしている可能性がかなり高い
・記録メディアはビデオテープからDVD そしてダウンロードへと変化
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